ぼくの息抜き

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自我って改めて考えるとなんだっけ?そして、自我強い人の特徴とは?

去年、心理学について気になっていた時にフロイトの超自我、自我、イドと言うワードに出会った。

改めて考えると自我ってなんだろう。

 

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自我って何?

自我という言葉を作ったフロイトは「自我」を「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」と定義した。

『自我』とは、イドと言う本能的欲求を抑え、人間が人間的行動をするために必要なものだ。

イドの思い通りにしてしまうと、思うままにさせるとやりたいことをやりたい時にするとんでもない人間になってしまう。

自我はイドと超自我に板挟み

イドが本能的な精神だとすると、その反対は自我ではなく超自我と言われる精神がある。

イドは、その場の自己満足を求めるのに対して、超自我は、社会的に適切な方法で行動するよう求める

超自我の言う通りに自我が従うと本能的欲求のイドは完全に押さえつけられ、逆に機械のように人間味がなくなってしまうかもしれない。

イドに「あーしたい、こーしたい」とわがままを言われ続け、超自我には規律などを守れ守れ言われ続けている。

会社での立場で言うと中間管理職みたいだ。

常に自我は板挟みな立場、自我はとても不安定な存在だ。

超自我って周りの常識?

イドと超自我を考えて見ると、イドは本能的欲求に従うから人間の本来の精神だ。

生まれてきてから超自我がいなければ本能赴くままに生きる。

お腹が空いたら食べたいものを食べる。眠くなったら寝る。やりたいことをやりたい時にする。

とってもわかりやすい。めちゃくちゃお腹をすかせて、スーパーに行き、手当たり次第に好きなものをお金を払わずに食べてもいいなら気にせず食べるだろう。

それはきっと人間誰でもそうだし、動物ももちろんそうだ。

自我はみんな一緒だと言う風に考えることができる。

しかし、超自我は全員違うと言える。

超自我とは社会的に適切な方法で行動するよう求める。とある。いわゆる社会の常識が超自我を決める。

 

極端な話、お腹が空いたらお金を払わずに手当たり次第に食べたいものを食べていいのが社会の常識であるならば、超自我もイドと同じ考えになる。そして自我も同じ考えになる。

 

超自我、自我、イドの説明を見ると超自我はイドの正反対に位置するものとされているが、全てがそうとは限らない。

個人的な自我のまとめ

自我は超自我によって変わる不安定な存在。

本能的なイドはずっと変わらないスタンスを取り続ける。

生まれてから死ぬまで本能的欲求は変わらない。

 

超自我は生まれてきた時には存在しない。周りの環境で形作られるものだ。

超自我がイド(本能)の考えと離れれば離れるほど自我は不安定になる。

 

逆に言えば超自我がイドと近しい考えであれば、自我はとても安定したものになる。

 

どちらがいいかわからないが、自分自身の葛藤が起きにくいのは後者の超自我とイドの考え方が近しい場合なのは間違いない。

 

自分はどちらかと行ったら超自我とイドの考え方は近いと思う。

 

皆さんはどうだろうか。

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