ブログを攻略する。基本の考えは昔から変わっていない。【目立つ力】
ブログを書くにあたって、良い影響を受けそうな本があったので、借りてきた。2009年の本なので参考程度に読むことにする。
目立つ力 -著者勝間和代-
インターネットメディアの活用法
今ではいつでも誰でも発信できるようになった。
1対Nに対して発信ができる。この本ではオバマさんについてが書かれていたが、今2017年では同じく大統領にトランプさんがtwitterを大きく活用している。
トランプさんのtwitterの注目度具合はすごい。
一日のユニークユーザーが1万を超えると
一日のユニークユーザーが1万を超えると社会への影響が大きいとしている。
DAUが1万は確かにすごい。DAUをセッションと同数とすれば、Ss/Pが2だとした場合。一日のPVは2万になる。月間60万は軽く超えることになる。
ブログのカテゴリーが絞られていれば、その領域に関しての影響力は間違いなくある。
ブログは思考を可視化できる
思考を言語化することは難しい。それを文章化するとなるともっと難しくなる。それを日々鍛える場としてブログは使える。
ただ、日記とは違い全ての人に見られてしまう。ネットに半永久的に残ってしまう。その破壊力は凄まじい。それをいつも意識していないと大変なことになる。
あまり個人的なこと、ネガティブなことは書くべきではない。
ワクワク、ドキドキする表現を続ける
ブログを続ける秘訣として、自分が興味があることを発信するとしている。確かに表面的ではなく自分が興味ある分野での考察などは価値のたかいものだ。
アウトプットの場として活用する
アウトプットする場所として使う。インプットしたままだと段々と薄れてくる。記憶を定着させる方法としてなんども思い出すことが重要。
また、思考を文章化することでインプットした内容がまとまって、かつ思い出すことで記憶に定着しやすくなると言うメリットがある。
ブログは自分を試せるメディア
自分の独特な考え方をブログの記事として上げておくとこで共感してくれる人が出てくるかもしれない。
ブログに上げていなければ共感する人が現れることはない。記事にして誰かが検索などで見にきて初めて共感が生まれる。頭の中にあるだけでは誰も共感できない。
このブログでも適当な瞑想頑張ってる記事をきっかけに知り合いになって人がいる。その何気無い瞑想の記事を書いていなければ、その出会いはなかったはずだ。
ブログの戦略
- コンセプトを決める
- 目的を決める
- コンテンツを決める
- 読者を想定する
- 差別化を考える
ブログの戦略にはこの5つがあるとしている。難しい。わかっているけどできないものばっかりだ。
コンセプトを決める
丁寧な文章を心がけるよりもコンセプトを決め、エッジを効かせていく。広く浅くよりも狭く深くを心がけているそう。
文章は一見雑だと指摘されることがあるそうだが、それは文章自体に何度も推敲を重ねたものではないからだと言う。
また、自分にとってはつまらない情報だったとしてもそれを宝と感じる人がいると言う。また逆も然り。どちらが書きやすいかといったら自分の得意な当たり前の情報である。
ブログにはその当たり前に価値を作る能力があると言うのは自分も納得できる。
差別化を考える、読者を想定する
ユニークな情報は特に乗っていないが、基礎であることは間違いない。大切さは身にしみて感じているが難しいところである。
自分の思考や体験を、他人とも、自分とも共有できるようにする
自分とも共有できるようにすると言うのはわかる。自分も誰に対して書いているわけでもない備忘録を毎日書いている。未来の自分への備忘録なのだ。
ブログを自分の思考の整理のために使うと結構有効活用できる。
文章のうまい、下手よりはその人らしい文章を
無理して丁寧な言葉で書こうとしても、それがかえって読者に違和感を覚えさせるかもしれない。
役に立つフレーズを入れる
コンテンツ自体も役に立つものであったほういいが、文章の中に役に立つフレーズを散りばめることも大切としている。
細く長く続ける
ブログは積み上げ式の資産であると思う。著者もすぐに結果の出ない場合も多いとしている。
一ヶ月間本気出して記事を書きまくるより、毎日少しずつ1年間書き続けていたほうが、結果的に大きく成果を出すことができる。
まとめ
ブログを伸ばす基礎的な話や個人をブランド化すると言う方面で書かれている。今やネットでも簡単に集められる情報が多い。これからブログを始めようと思っている人に対してもあまりオススメできない。
また、差別化に関しては昔よりも複雑で難易度は上がっている。
情報は驚くスピードで変化し続けている。それを収集する力をつけたほうが後々役に立つ。
しかし、内容として色あせているしまっているだけど、基礎をきちんと押さえてあると思う。「今更読むものではない」と言うのが個人的結論だ。