ジグ・ジグラー。人はすぐに変わることができるんだってよ!まじかよ!【潜在能力超活性化ブック】
ジグ・ジグラー。今日紹介する本も金持ち父さん貧乏父さんの最後に紹介されている読むべき本リストに入っていた。
タイトルからして自分が好きそうな本である。潜在能力ってのに惹かれる。最近は脳波無限の可能性を秘めている説を推しているから潜在能力どう引き出そうか時々考えている。
さて前置きはこのくらいにして、中身を見ていこう。
潜在能力超活性化ブック - ジグ・ジグラー -
人生を有意義に過ごすためにはどういう考え方が必要であるかを例を交えて書いてある。
ジグ・ジグラーと調べればネットでは名言がたくさん出てくるほど有名な人だ。
ジグ・ジグラーのオーディオ自己啓発は多くの人を変えてきた。直接公演に聞きに来たという人より、オーディオの方で人生を変えたという人が圧倒的に多いという。
その違いは繰り返し聞けるかの違いだという。この本はそのモチベーションを長続きするために手元に置いておいて、頻繁に読み直すと効果的としている。
ちょっと潜在能力超活性化ブックなんて本をいつも持ち歩いていたら何か勘違いされそうだが。
ミリオネアたちより勝るものとは
成功や"頂上を超えたもの"が何であるかを私は突き止めたのだ。実は、それは成功よりも勝る"有意義な人生"というものだった。
お金がたくさんあるだけでは人は有意義な人生とは呼べないそうだ。人格はもちろん生き方そのものが有意義な人生を形作るという。
成功にはやる気だけではダメ
もちろん成功にはやる気や忍耐力は必要不可欠である。しかし、著者はそれだけではやはり足りないという。
どんな分野であれ、やる気、忍耐力、地震、エンスージアズムといった資質は当然必要ではあるが、”頂上を超えた場所”にい続けるには、技術も必要となる
技術も必要としているが、技術だけでも”頂上を超えた場所”に居続けることできないとしている。
人は強烈な印象を受けたものに引き寄せられる
違反者の脇に停止したパトカーがハザードランプをつけていない時よりも7倍も高い確率でランプをつけているパトカーの方が追突されやすいという。
この話は初めて聞いた。にわかに信じがたい話である。
また、不安のイメージも確実に行動や感情に大きく影響を与える。ある親子の会話が例として書いてあった。
子供「お皿洗いしてあげる!」
母「ほんとに?そしたらお願いしようかしら。でもこのお皿はすごい高いお皿だから絶対に割らないでね!」
この会話から著者はお皿を割ってもらうのにこんなに効果的な言葉はないといった。
これは確かにその通りだ。母親は完全に割ってしまった様子を想像して言っているだろうし、子供も確実に意識してしまう。
アメリカに移民してきた人は成功しやすい?
アメリカで生まれる人もほかの国や大陸で生まれた人にミリオネラーになる確率は変わらないらしい。
どの大陸で生まれても平等にチャンスがあるという。アメリカに移民してきた人たちにパワーがあるのにはある理由がある。
移民してきた人は移民してきた時のすごい!という心をずっと忘れないからだという。
出来事をプラスと捉えるかマイナスと捉えるか
何かハプニングがあった時にそれをマイナスと捉えるかプラスと捉えるか人それぞれである。
人によっては宝くじで大金を手に入れることで、破滅に導くこと場合も計画立てて使い幸せになる場合もある。
全ての出来事はマイナスにも捉えられるし、プラスにも捉えることができる。自分も前からそう思っていた。
自分は今や完全ポジティブ人間だが、昔からそうだったわけではない。無意識に行っていた考え方でポジティブ人間になった。
全てのことをポジティブで終わらす
誰しもネガティブな出来事はある。道端のうんこを踏んでしまうこともあるだろう。それだけ見たら完全にネガティブである。
ただ、そのあとのポジティブな出来事と紐づけるとあら不思議、うんこ踏んだこともポジティブになるのだ。
ポジティブな出来事はなんでもいい。ネガティブなことは誰にしも起きるし、ポジティブなことも誰にしも起きる。
人生は一本線なのだから最後がポジティブで終われば、それまでのことは全てそのポジティブのためにあったわけだ。
ネガティブ思考の人は最後の出来事をネガティブで終わらせてしまっているだけなのだ。または、ポジティブな出来事とネガティブな出来事を分けてしまっている。
わざわざ一本線の人生を分ける必要はないのだ。そして最後をポジティブに変えるそれだけでいい。
これはこの本に書いてあったことではない。
一旦まとめ
ちょっと引っ張りたい言葉や文章が多すぎて、1記事で紹介できそうもない。Part3くらいになってしまうのではないだろうか。
本のレビューをいくつか書いている。2種類書き方を試していて、一旦全てを読んでから記憶に残っているものや全てを通して思ったことを書くタイプ。
もう一つのタイプは読んでいる最中に気になった部分についてつどつど書いていくタイプ。
今回はつどつど書いていくタイプだ。全てを通した後に書く感想だと、なんかそっけないものになる気がしてならない。
確かに全てを通してからの方が記事としてもまとまりはある。ただ、響いた言葉とかがごっそり抜け落ちている感が否めない。
今これを書いてて思ったが、どっちもやればいいんじゃないかと思った。つどつど書くタイプの記事と最後にまとまった感想の記事二つ書こう。
誰もどっちかにしろとは言っていなかった。あー自己解決、自己解決。すっきり!
ということで次回に続く。