ぼくの息抜き

ぼくの息抜き

気ままな二人が記事を書くことで息抜きしていくブログ

CSS MenuMaker

観光ランキング~チュニジアで英雄たちの活躍に思いをはせる旅

チュニジアは、かつてローマと覇権を争ったカルタゴが支配していた地域であり、西暦前218年、ゾウに乗ってアルプス山脈を越えてローマを奇襲したハンニバル将軍の出身地でもある。

 

ハンニバル将軍ゆかりの観光スポットをランキング形式で紹介する。

1位 シディ・ブ・サイド

青と白の街と言えばギリシャやイタリアが有名だが、地中海を挟んだチュニジアも白しっくいとチュニジアンブルーのみの装飾で統一された美しい街だ。

 

現在はビーチもあるリゾート地になっていて、シディ・ブ・サイドから見る地中海の青さは世界中の観光客を惹き付けている。

 

対岸に見えるのがカップ岬である。西暦前207年、ハンニバルが地中海の対岸でローマと闘っている時に、ローマのスキピオが軍を率いて、このカップ岬から目の前に広がる湾を横切ってカルタゴ(チュニジア)に上陸し、驚いたカルタゴ政府はローマとの休戦を画策、ローマでのハンニバルの動きを封じることに成功した。

2位 カルタゴ遺跡

チュニジア政府の公式見解では、カルタゴ国は西暦前814年に始まり、地中海一帯を支配していたフェニキア人の海洋国家だ。

 

フェニキア人やハンニバルが崇拝していたバアル神は聖書の中にも登場する。スキピオのカルタゴ上陸作戦の結果、カルタゴは多額の賠償金を課せられるも、ハンニバルの指導で奇跡的な復興を果たす。

 

しかし、強引なハンニバルのやり方はカルタゴからもローマからも反感を買い、ハンニバルはシリアへ亡命、西暦前146年にカルタゴはローマの侵攻を受け、廃墟となった。

 

この時に攻略されたカルタゴの城塞跡ビュルサの丘とともに1979年、世界遺産に登録されチュニジアの重要な観光名所となっている。

3位 エル・ジェム

の円形闘技場 カルタゴ滅亡後、ローマの支配を受けていた西暦3世紀頃に建設された円形闘技場跡。ローマ、ヴェローナに次いで三番目に大きな円形闘技場である。

 

保存状態が良く、剣闘士や野獣が待機していた地下牢を見学したり、3階客席からの眺望を満喫できる。世界遺産に登録されたのは1979年のこと。チュニジアにはこうした円形闘技場が25カ所もあったという。

 

エル・ジェムの円形闘技場がある辺りは今でこそ荒涼とした砂漠地帯だが、円形闘技場が建設された当時は周りをオリーブの木が囲み、チュニジアそのものもローマの穀倉地帯として知られる豊かな地域であった。

 

円形闘技場は、オリーブ油や穀類の輸出によって得られた収益によって、エル・ジェム市民が自ら建てたものと言う。円形闘技場は今でもコンサートやフェスティバルの会場として使われている。